住吉市民病院の廃止問題では、「難病で24時間医療ケアを必要とし、同院に入院している児童について、病院廃止後の次の受け入れ先が見つかっていない」というニュースが報じられてから、維新の側からのおかしな主張が増えている。
特に、飯田哲史大阪市議のツイッターでの発信にはあきれる。
例えばこれ。
責任持ってるから大阪市議会で議論してるんですよ。堺は堺でとやってる市長が責任持って受け入れてくれたらこの問題もすぐに解決します。しかしそうでない。だから大阪市長が一生懸命汗かいて受け入れ先を探しているんです。それをあのように無碍に心無い言葉で勝手に議論するななんて暴論極まりない。
— 飯田 哲史 さとし 大阪市会議員 (@satoshi_iida) 2017年8月18日
いったい何を言っているのか。「ふざけるな」としか思えない。
次の受け入れ先を見つけるのは大阪市長の最低限の責務
ニュースで報じられた当該児童だけではなく、難病や障がいなどで住吉市民病院を利用し、次の受け入れ先を探している途中の児童は多数いると聞く。
そもそも、住吉市民病院を廃止しようとしたから、次の受け入れ先を探さなければならないということになる。では、住吉市民病院を廃止しようとしているのは誰か。橋下徹・吉村洋文の2代の大阪市長を先頭にした維新市政と、その方針に賛成してきた市長与党・大阪維新の会のしわざである。
廃止の方針自体が疑問ではあるが、廃止という住民への不利益を与えるのだから、行政として代替策をとるのは当然の責務ではないか。「大阪市長が一生懸命汗かいて受け入れ先を探しているんです」と恩着せがましく言うようなものではない。
住吉市民病院の廃止については、「府立急性期総合医療センターとの統合によって医療体制の向上」という名目だった。しかしそれは嘘だったということにもなる。
住吉市民病院を口実に、堺市政を攻撃するのも許されない
また、当該児童がたまたま堺市在住だということで、2017年9月の堺市長選挙をにらんだ堺市政への攻撃になっているのも許されない。医療行政の問題を政局に使うべきではない。大阪市の維新市政の失敗を、その失敗には全く因果関係がないにもかかわらず、堺市政に責任転嫁するのも許しがたい。
堺市の病院が受け入れ拒否しているとかそういう単純なものではない。医療については、症状によって高度な医療技術や専門知識が必要な場合は、その分野を専門としている医師のいるところや、対応した設備のあるところに広域的に回されることもある。たまたま患者が堺市在住で、症状に対応した受け入れ先が、大阪市の病院だったというだけである。
逆に大阪市民でも、症状によっては堺市の病院で世話になることもあるのかもしれない。
「心ない言葉で議論する」ような暴論をかけているのは、飯田市議の方ではないのか。