辺境の雑記帳2nd

ニュースや時事問題の考察など

西成区を「あいりんの否定的現象」と同一視してヘイトし続けている維新

維新信者の使い古された常套句。

――西成区を橋下・維新が変えた。維新以前の市政では何もしなかった。西成区をああいう状態で放置したのは3代にわたって議員を務めた柳本家。

この中傷は、2015年の大阪W選挙以降、執拗に繰り返されている。

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松井一郎維新代表は2018年2月24日、「西成区をよくしたのは維新。柳本は何もしていなかった」なる他の信者からの書き込みをツイッターでリツイートし、またその手のデマを蒸し返している。

実際はどうか。

あるツイッターの書き込みより。

この書き込みの内容が、実態に近い。

厳密には、柳本家という特定の個人・家系だけの力というより、他党派の議員や他議員支持者も含めた、西成区で生活している多くの市民の共同で、市民生活を守り、不十分・不都合な問題が顕在すると改善を図ってきた。

維新信者が目の敵にする柳本顕氏やその先代さんも、また西成区選出の他の歴代議員(公明党・共産党・旧民主党系など)も、市会では住民生活の問題について質問したり、現地調査などもおこなっていたりする。

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それらの地道な取り組みで、あいりん地域とされる地域と地理的に重なる西成区北東部で顕在化していた、ゴミの不法投棄対策(監視カメラ設置や収集時間を早めるなど)なども実現している。

あいりん地域以外の西成区の住宅街でも、道路に横断歩道が付いたりなどの地道な改善がおこなわれている。

様々な立場の市民がそれぞれの立場から、一人の市民として、市民生活を守り育て、地域を発展させてきたのは、別に西成区に限らずとも、どこの地域でもそうである。「西成区だから」どうこうというわけではないし、西成区だからと過剰に騒ぎ立てるようなものではない。

西成区=特殊地域とみる維新、地元住民が普通に暮らす街とみる多くの市民

しかしその一方で、「西成区」というだけで、特殊な地域扱いしたがる連中、特殊なイメージでなければならないとおかしなこだわりを見せる連中がいる。

いわゆるあいりん問題は、「西成区」という広い範囲にすり替えた上で西成区全域の土地柄に問題点を求める「特異な地区」として扱うべきではない。あいりん地域イコール西成区のすべてではない。

あいりんの原型となったのは今の浪速区や中央区にあたるし、西成区北部はそういった地域が膨張した歴史的経過でいわば「巻き添え」になったものである。西成区だけの課題ではなく浪速区や中央区をはじめとした大阪市・府・国の課題である。地域の問題に矮小化させるのではなく、大阪広域の都市課題としての「現象」として扱うべきものである。

しかしたまたま、ここ近年の現象が顕著に現れている場所が、現行行政区では西成区北東部にあたる萩之茶屋地域周辺と重なることになった。

歴史的過程のいたずらでそうなっただけで、都市近郊ならどこにあってもおかしくなかったはずのものである。梅田や京橋の近くでも、舞洲でも、新大阪あたりでもどこでもよかったはずのものが、たまたま新今宮・萩之茶屋付近に現れたというだけ。

あいりん問題をどうみるか。

これは、一部のあいりん支援団体などの「労働者の街釜ヶ崎」(特定階層の人たちだけの街)という見方をするのか、それとも「地元の人が地域に根ざして生活する、萩之茶屋地域をはじめとした西成区」という見方をするのかという、根本的な問題がある。

他の行政区では「○○区だからどうの」という言い方はまずされない。地元の人が地域に根ざして生活する中で、地域名や区名を異常に連呼することなく、個別の課題や要求を地道に改善していっている。西成区だけ西成西成と騒いで「特殊地帯」呼ばわりするのはおかしな話である。

貧困ビジネスを含めた一部の「あいりん支援団体」と称するものは、西成区北東部はいわゆる「あいりんの人」だけの街で、元々の地元の人のことなどほとんど考えていないのではないか、受け取り方によっては地元の人を敵視しているのではないかととれるような主張をおこなっている。

そして、「あいりんの人」にとって団結・共同を図る文脈では「釜ヶ崎」、「あいりんの人」の否定的な現象を強調するときは「西成」と使い分けているように見える。

ついでながら、「釜ヶ崎」は旧地名ではあるが、元々は今の浪速区恵美須東付近の地名(今宮村釜ヶ崎→南区今宮→浪速区水崎町→浪速区恵美須東)である。本来は萩之茶屋付近のことではない。

そしてマスコミや、それに毒されたアングラマニア気取り・アウトローマニア気取りなどがおもしろおかしく「西成」の地名を「あいりん地域で起きているセンセーショナルな現象を面白おかしく騒ぎ立てるときの蔑称」として扱ってきた

そして、ゴミの不法投棄などの環境悪化で困っている、あいりん地域周辺とされた地域と地理的に重なる地域で生活している、元々の西成区北東部の地元の人は放置することになる。

さらにあいりんの否定的な現象を「西成」と勝手に結びつけて、「西成」「西成」と異常な騒ぎ方をすることで、行政上西成区になっているだけであいりんの被害を直接受けていない天下茶屋・岸里・玉出・津守など多くの地域に対して、町並みも生活圏も隣の住吉区・住之江区・阿倍野区と一体なのに、たまたま行政上西成区に入っているというだけで、汚い・ガラが悪い地域に違いないと勝手に決めつけられてヘイトされる被害も生まれた。

西成特区構想による地域ヘイト

維新の西成区への見方は、あいりん地域の貧困ビジネス・一部支援団体の見方と全く同じである。

西成特区構想と称しているが、「あいりん地域で起きている否定的な現象・あいりんの人たち=西成区のすべて」扱いで騒ぐためのおもちゃとして扱っているだけ

表向きよくなってきたように見えることは、すべて前市政以前で原型が作られていたものの継承ばかり。

むしろ、これまでに使い古された一部のあいりん支援団体や、それに乗って騒いだアングラマニア・アウトローマニアの見方と同じ「西成区だから特殊な街でなければならない」というとんでもない偏見を元に進めている。そのことで、西成特区構想によって西成区への風評被害を蒸し返し、悪化させた。

西成特区構想と「大阪都構想」を一体的に進めたこと、「都構想」で大阪市廃止解体の本質をごまかすために「区の合併」かのように偽って宣伝したことが重なり、西成区を「ババ」「厄介者」扱いする風潮も生まれた。

西成特区構想では、2012年11月に大阪市がおこなった住民向け説明会でも、来場者の感想文では「あいりんの否定的現象のことを西成区のすべて扱いすること自体が風評被害」と批判する意見が多く寄せられている。

  • 西成400年の歴史の中でたった50年の人のながれのなかで、そこが西成だという発想はいかがなものか。400年のなかで地域ではぐくまれた歴史は?西成のことをほんとうに理解できているのか?西成=あいりんなのか。西成をほんとうにわかっているのか?
  • 有識者が皆あいりん問題を研究しているのはいいが、あいりんが西成のすべてか?こういう内容だから、相変わらずマスコミの西成イメージが変らないのではないか?なぜ区民、一般の住民の意思が反映されないのか?
  • 特区構想をたてる場合、何が西成の特性(固有)なのかが明確でないといけない。例えば、生保にしても西成発西成着の固有課題とは思えない。戦後高度経済成長を支えた労働力が老い、病み、西成に集められている。国の施策(経済労働)のツケが西成(大阪の)の特性の様に扱われるのはおかしい。但し、現に課題となっていることは現実で、解決は、国家戦略であるべきだ。貧困や結核という名の「原発」は西成が解決する課題か?!!もっと立体的にぶ厚い歴史をふまえた戦略が必要ではないか?問いたい。
  • 策が充実すればするほどそれを目当てにした流入者が増えるのではないかと思われる。結局、あいりんにいる人たちはほとんど西成区以外からの流入者であり、西成で生まれ育った者にとっては迷惑な存在です。流入を制止する策が必要ではないか。
  • 特区構想という事でマスコミメディアばかり先ばしって、しかも市長のバクダン発言で何をされるか、不安です。
  • 西成を特別視する考え方がよくわからない西成で可能になれば他区でも可能と言われるが、他区で出来る事と同じ様に西成にも適用し、問題といわれている件に関しては、それにプラスして考えればいいのではないでしょうか。西成を考えるのではなく、大阪をどうするのかの中で西成があるのではないでしょうか?
  • 西成特区?何か特別な目で見られるような気がする。小さい時から西成に住んでいて大きな声で「西成に住んでいます」と胸を張って答えられなかった。
  • 西成特区、西成特区と言われてみじめな思い、分かりますか。からかいの口調で「特区!特区!」と言われている子ども達もいますよ。

2012年当時に寄せられた危惧は、残念ながら当たってしまったということになった。

橋下・維新が変えたというのは、限定的な意味では当たっているともいえる。ただし、「悪い方向に変えた」という意味で。地域の人たちの願いに敵対するような施策ばかりやってきたのが、橋下・維新である。こんなので喜ぶのは、あいりんの貧困ビジネスくらいではないかとも思える。

多くの住民にとっては「維新のせいで」生活しにくくなったのでは

あいりん地域と地理的に重なる地域でも、そうでない地域でも、地域の人たちの要望からの街づくりが模索されてきた。

「あいりん問題」についても、「労働や社会福祉などの広域的な話」と「地域住民の立場での地元の生活環境の維持・改善」とのそれぞれの視点を両立させておこなっていくべきものである。

労働や社会福祉などで不都合なことは、それはたいていよそからの流入者であるにもかかわらず「おかしな地元住民がいる」かのように責任転嫁するような態度では、絶対に解決しない。

2000年代になり、地元住民の生活環境という視点で問題をとらえ直す傾向が強まり、改善の方向が見えつつあった。

しかし橋下・維新が現れ、「あいりんでの現象」を「西成区」と同一視され、特殊地域扱いされて騒ぐことで、あいりん関係の人以外の多くの西成区の住民にとっては、橋下・維新のせいで生活しにくくなったのではないかといえる。

もっとも、大阪市全域で生活しにくくなったのではあるが、維新は西成区(特に南部と東部)に集中して嫌がらせをしているようにも思える。

地元では誰も見たことのないような現象を「これが西成区だ。ガラが悪くなければ都合が悪い」かのような悪宣伝。

津守幼稚園を廃止し、西成区西部を幼稚園の空白地帯にした問題。

住吉市民病院の廃止問題。産科・小児科の拠点で、地域では唯一分娩可能な病院を廃止し、代替病院も誘致せずに空白状態にしたこと。

西成区(いわゆる「あいりんでおかしなことをしている人」以外の多くの地域・住民)を敵視し、生活しにくい状況にさせ、地域環境を悪くさせようと図ったのは、維新ではないか。

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