辺境の雑記帳2nd

ニュースや時事問題の考察など

「フェミニズム」という名の家父長制

立憲民主党の代表選挙がおこなわれている。

立候補者や訴える内容については、外の人がとやかく言うことではなく、関係者が決めることなので差し控える。

一方で気になることが。

代表選挙に際して、おかしなことを言う人がおられるらしい。

そしておかしな発言が批判されている。

立憲民主党の代表選挙に立候補した西村ちなみ議員が、「フェミニスト」を自称する人たちから「問題発言」を指摘されて辞職に追い込まれた本多平直元議員の配偶者だからダメという理屈での批判。しかも「フェミニスト」を自称する人たちが、そういった筋違いの批判に賛同して広めているという指摘。

こんなものはもろに家父長制の理屈。夫の「問題」(しかもこの件では、不祥事でも何でもなく、後述のように一方的な決めつけで陥れられただけではあるが)の責任を、妻に連帯責任で押しつけて平然としている。そういうのを自称「フェミニスト」が平然とおこなっているというおかしな話。人権感覚を疑う。

元々の本多元議員の話は、法的な規制を加えるとなると乱用を避けるための厳格な歯止めが必要になると受け取れる文脈で、具体的な線引きの基準について具体例を挙げて検討したと受け取れるものだった。しかしそれを聞きつけた「フェミニスト」が、「あいつは変質者」かのように発言趣旨を一方的にねじ曲げて騒ぎ、立憲民主党も「フェミニスト」に押されるような形で不透明な手続きで対応したと指摘されている代物。こんなもの、問題である。

フェミニストは復古主義の隠れ蓑ではない

語義的な意味でのフェミニズムは、本来はこういうものではなく、個の尊重をベースにしたものではある。

しかし日本で「フェミニズム」「フェミニスト」を自称して振りかざす者は、そういう本来の理念を真っ向から否定し、家父長制パターナリズムやマッチョイズム・宗教右翼的な復古主義的発想を振りかざして周囲に強制するための隠れ蓑にするような、人権意識が周回遅れの者が目立っている。そういう倒錯は憂うべきもの。

しかもその手のエセ「フェミニズム」保守反動主義者が、リベラル政党に取り憑いて、ジェンダー政策を中心に当該政党の政策をバグらせ、有権者のお叱りを受けるような状態となっている。

立憲民主党の本多元議員への不透明な対応もしかり。また共産党に対してもこの手のエセ「フェミニスト」が取り憑いて数々の問題を起こしてきた。

リベラル政党は、こういう人権意識が前近代的にバグったエセ「フェミニスト」への対応をここで修正しないと、命取りになる危険性があると感じる。