辺境の雑記帳2nd

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阪急なにわ筋連絡線の経過めぐる「X」(Twitter)投稿

吉村洋文大阪府知事が2023年8月16日、Twitter(現・X)でこのような投稿をした。

これはファクトチェックが必要な案件。

 

「大阪府市がバラバラ、二重行政だった時は進まなかった。」は、誤った印象を与えるもの。

 

 阪急十三駅から分岐して梅田方面を結び、なにわ筋線に接続する「なにわ筋連絡線」、およびそれに関連して、十三駅から分岐して新大阪駅とを結ぶ「阪急新大阪連絡線」構想についての歴史的経緯は、以下のようになっている。

1961年

阪急電鉄(当時は京阪神急行電鉄)、カーブで線形がよくなかった阪急京都線の大阪市内での別線としての急行線設置、梅田付近の混雑緩和、当時開業を控えていた新幹線へのアクセスなどの目的で、十三から新大阪を経由して淡路に至る「阪急新大阪連絡線」事業免許を取得した。

しかし、用地買収などの遅れ、新大阪駅付近の開発状況、大阪市営地下鉄堺筋線の開業と阪急京都線・千里線との直通運転などで梅田の混雑が緩和・分散されたことで新線の必要性や緊急性は薄れた、などの諸要因が重なったとされ、事業は進展しなかった。

その後、阪急新大阪線計画は、十三~新大阪間を「将来的に検討する」として計画を縮小して残す内容に変更された上で、新大阪~淡路など残りの部分は廃止した。

1989年5月31日

政府・運輸省(当時)の、運輸政策審議会答申10号。

後年の「なにわ筋連絡線」に相当する路線の計画については「十三と、梅田方面を結び、梅田貨物駅(梅田北ヤード)直下を通過してなにわ筋線に接続する路線を、2005年度をめどに整備着手するのが妥当」とする答申が出される。

しかし当時、梅田貨物駅・梅田北ヤードの再開発計画が具体化していなかったこと、なにわ筋線計画は構想のままで具体化していなかったことなどで、なにわ筋連絡線計画についても構想のまま具体的な話が進まなかった。

また阪急新大阪線計画についても、2005年度までに工事に着手するのが妥当と答申。一方でこの構想も具体的な話が進まなかった。

2004年

2004年8月、大阪市が、「大阪市営地下鉄四つ橋線を、西梅田から十三に延伸し、阪急との直通運転を検討している」とする構想を出したと報じられる。同年10月には、近畿地方交通審議会答申第8号で、大阪市と阪急電鉄が事業主体となることを想定する形で、中長期的な路線計画事業として盛り込まれる。

しかし、地下鉄四つ橋線の延伸での直通運転は、集電方式・電圧や車両の大きさの違い、地下鉄西梅田駅の深さは阪神梅田駅の深さとほぼ同じでトンネルが支障するのでトンネルの掘り直しが必要なことなどの課題が指摘された。直通可能な状態に改造するにも数年単位で、しかも運休なども伴うような大がかりな工事になって現実的ではないという指摘が出され、構想の状況にとどまり、具体的な内容は進まなかった。

2006年5月

阪急HDの社長が、当時具体化していた阪急阪神の経営統合に関連して、「新大阪、十三、北ヤード、西梅田をつなぐ路線も可能」とコメントし、阪急電鉄の路線として新大阪~十三~梅田を結ぶ路線の新設に意欲を示した。

2007年8月

国土交通省が中心となり、大阪府、大阪市、阪急電鉄、JR西日本などが参加する形で、ワーキンググループを設置して協議し、梅田(西梅田駅方面)から阪急十三駅を新線で結ぶ「西梅田・十三連絡線」の素案を検討。

2008年4月10日

国土交通省、『「速達性向上施策における事業スキームの検討に関する調査」結果 - 西梅田・十三連絡線(仮称)の事業実現化方策に係る深度化調査 - 』の結果を公表。「西梅田・十三連絡線」と「新大阪連絡線」を一体のものとしてまとめて検討。

ここまでは、2011年に維新が大阪の政治を牛耳る以前に起きた出来事である。

事業者、政府・国土交通省、大阪府、大阪市がそれぞれ同じような方向性を検討していた。その一方で具体的な実施主体や、諸条件などの問題が重なって、実現に至らなかったものとなっている。

そもそも、大阪市内を通過し、また府内の広域にもかかわる交通網などの都市計画については、この事案に限らず多くの事業(具体例を挙げれば、阪神なんば線、阪神高速道路淀川左岸線など)で、大阪府と大阪市が共同・連携して進めてきた歴史がある。そのような歴史的経過を「二重行政」呼ばわりするのは、理解に苦しむことである。

そして2011年、前年に結成された大阪維新の会が大阪府議選・大阪市議選で議席を大幅に増やし、同年末には橋下徹大阪府知事の大阪市長転身で、「維新政治」が本格化した。

その後も、それまでの経過を踏まえて引き続き構想が検討された。そして2017年5月に、阪急十三駅から梅田北ヤード方面に分岐する新線を作り、なにわ筋線と接続する「なにわ筋連絡線」の構想が、大阪府・大阪市・阪急電鉄およびJR西日本・南海電鉄の協議でまとまり、共同で報道発表した。そしてそれを受け、2023年8月の「2031年度にも、新大阪~十三~梅田~なにわ筋線経由で、狭軌新線で南海・JRに乗り入れ、新大阪駅~関西空港駅を直通運転する構想」という報道に至ったものである。

二重行政で妨害された、それを維新になってから実現したかのような印象操作は、事実ではない。

「なにわ筋線」事業が具体化したことに連動する形で、また梅田北ヤードの再開発の方向性にめどがついた状況で、「なにわ筋連絡線」の具体化にも一定のめどがついたという、歴史的な巡り合わせがあった。この状況が、たまたま維新が行政を取っている時期と重なったというだけ。仮に維新の行政でなくても、なるようになっていたはずだというべきものであろう。