辺境の雑記帳2nd

ニュースや時事問題の考察など

維新が西成区の地名に悪いイメージを振りまきながら「西成の地名をなくす」とは?

維新の会は西成区内で、西成区の区名を消して中央区にするのが「都構想」という宣伝をおこなっているとか。

西成区内で「都構想」賛成の宣伝カーが「西成の地名をなくします」と連呼していたという目撃情報。また岸里駅西側の落ち着いた住宅地である千本地域では、維新の会を名乗って「ここは閑静でいい街なのに、外からの西成区のイメージを押し付けられて嫌な思いをしてきた。都構想で名前を変えてそのイメージをなくす」と宣伝。

西成区の多くの街は閑静な街にも関わらず、「外からのイメージ」=「《行政区としての西成区》と《あいりん地区・飛田》は範囲が大きく違うにもかかわらず、あいりん地区や飛田のネガディブな現象を『西成』呼ばわりして面白おかしく話を盛って、ガラが悪い・犯罪地帯・困難な生活環境などと騒ぎ、それを西成区の関係ない地域にも押し付ける」のせいで悪質なヘイトスピーチが振りまかれて、西成区出身や在住の人をはじめ西成区に縁がある人が嫌な思いをしてきたのも事実ではある。

ただそれは、西成の地名を変なイメージと結び付けて騒ぐような行為をなくさせるのが先ではないか。

  • 元からの西成区もしくは周辺区の住民や、西成区に詳しい事情通を装いながら、デタラメな内容をまるで見てきたかのように騒ぎ、あいりん地区や飛田とは全く異なる地域の住宅街に対して「西成区だから問題地域に決まっている。ガラが悪い無法地帯じゃないと都合が悪い」と決めつけてわめき立てる。
  • 「西成区はガラが悪くなければ都合が悪い」という偏見から、西成区の土地柄とは何の関係もなくどこででも起こりうる内容で、たまたま発生場所が行政上の西成区で起きただけの否定的な事件でも、勝手に土地柄にすべての原因をすり替えて「西成」と騒ぐ。
  • ※上記2つはそれぞれ独立したものというより、同じ現象の裏表のような扱いで攻撃されることが多い:例→当ブログ2012/11/13「マスコミの印象操作による風評被害
  • 元からの住民に対しても「ネガティブ極まりないイメージを誇りに思っているかのように振り回して特殊地域扱いすることが、西成区住民・出身者のアイデンティティで地元愛に決まっている」とばかりの偏見丸出しで、西成区出身・在住の人と知ると異常な食いつき方をする。
  • 自分の頭のなかにしかない勝手なイメージにもかかわらず、それに合わない現実の西成区の住宅街や同区の出身・在住者・同区に縁がある人を一方的に攻撃して、薄汚い言葉でのヘイトを繰り返す。

――そんな心ない者もいる。インターネット上でもそういう態度での、異常な執念を感じる卑劣な書き込みもよく見かける。

そのため、西成区の話題に触れることすら嫌がる、西成区への地元愛を過剰に強調する人間や話題には生理的に受け付けないとか警戒するという、西成区出身や在住の人もよくいる。

維新が「西成の地名をなくす」と宣伝するのも、そんな西成区の人の住民感情に取り入ったものだろう。その発想自体はわからなくはない。

教養があると見受けられる方からは、「西成の地名は古代からの歴史的なもの」という論で地名をなくすのに反対すると聞く。もちろんその観点は事実ではあるし、その事実は踏まえた上で、歴史とか文化とは別個の次元の、あくまでも地元の地名がおかしなものの代名詞扱いされた風評被害で地元の人が嫌がっているという切り口からの問題である。

例えて言えば、かつての「トルコ風呂(ソープランドのかつての名称)」の呼称問題と似ている部分がある。自分の母国の名前が勝手に性風俗の代名詞にされているとしてトルコの関係者が怒って抗議した状況と似ている。

もっとも「トルコ風呂」の問題になぞらえると、維新の対応は《風俗施設に他人の国の名前を勝手につけた連中は放置して、抗議している人たちを小馬鹿にしたうえ、トルコの国に「お前の国の名前を変えろ」と高圧的に申し入れているようなもの》という、現実とは正反対の対応をしているという大きな違いがある。維新のやり方で西成区への風評被害は解決するとは思えない。

維新の会や橋下も、今まで西成区の人たちが嫌がっていたような「外からのイメージ」を広める者の手口をそのまま使って、西成区に対する変なイメージを広げた側。いわば、自ら悪評を広めながら、自作自演的に「悪評があるから地名をなくす」と騒いでいるのである。このことを踏まえなければならない

「大阪都構想」の議論で西成区がスケープゴートにされ、悪いイメージが強調されて「西成区とは一緒になりたくない」だのと否定的な騒ぎ方をされた。維新が「大阪都構想」などと余計なことを言わなければ、「都構想」で西成と一緒の区は嫌などという騒ぎ方をされることはなかったはずである。

また橋下が打ち出した「西成特区構想」でも、あいりん地区の否定的な課題を「西成」呼ばわりして、「あいりん地区」と「行政区としての西成区」を混同させ、あいりん地区の課題をあいまいにして西成区の他地域に風評被害を押し付けるという「外からのイメージ」そのものの発想から出発している。

西成区に悪いイメージをつけている一部地域の改善もせず、また行政区としての西成区の他地域に「外からのイメージ」を振りまかせないようにする対策もせず、単に中央区に名前を変えれば解決かのように言い立てるだけでは、変なイメージの代名詞が「西成区」から「中央区」に変わるだけで、いわれのない偏見を押し付けられる風評被害を受ける地域が新中央区全域に広がるだけではないのだろうか。