たまたま見かけた論考。
『フェミニズムの暴走が参政党という極右政党を生み出したのではないか、という視点』
この論考で「フェミニズム」といわれているものやそれを掲げる者が暴走し、参政党の台頭ににつながっているのではないか、という論考。
「フェミニスト」がこの十年来燃やしてきた数々の事件のあらましを例示した上で、参政党の台頭につながっているという考察を加えている。
「フェミニスト」の暴走
もっとも当方は、「フェミニズム」と主張していてもああいうのは本来の意味でのフェミニズムではない、家父長制パターナリズムとマチズモにまみれたミサンドリーだと認識している。
もっとも、世間ではそういうのが「フェミニズム」と認識されているということもあり、ここでは便宜上そう表現することにする。
この論考での主張の内容は、経験的にも感じてきた。
そして、近年では「フェミニズム」と称する者が、差別・ヘイトとの親和性を示すような形にもなっている。
「女性の権利=実際は自分自身の横暴」と掲げて、男性差別――特に家父長的・パターナリズム的な思考とは無縁の、自分を権力や腕力で守らない男性への攻撃。――、ヲタク差別、障がい者差別、乳幼児の男児へのヘイトなど、触れるだけでも気分が悪くなるようなな露骨なヘイトをおこなっている事例が目につく。
それに対して、野党といわれるような勢力が毅然とした対策をとらないどころか、そういう勢力に迎合して取り込んでいるようにも見える。
そのことへの反動で、野党支持層が瓦解したり、参政党現象が起きたのではないかというのは、一つの見解としてはありうるだろう。
しかし参政党もまた、排外主義だったり、障がい者差別などをおこなっているとされる勢力。
「フェミニスト」に嫌悪感を持ってたどり着いた先が、これもまた「フェミニスト」と似たようなことをおこなっているという、シャレにならない話にもなってしまっている。
また「フェミニスト」の側の一部も、参政党になびくような発言をしている。なかなかのカオスではある。
「フェミニスト」の内ゲバ
「フェミニスト」は、「自分をちやほやしろ」という内ゲバで、野党に取り憑いて自分のケツモチにしようと図った者、またその家父長的で下卑た価値観から「自分がその政党関係者からちやほやされなかったことが気に入らない」という逆恨みで感情的な攻撃を加えている者など、いくつもの派閥が観測される。
立憲民主党や共産党の間でも、そういうのに取り憑かれて、政党としての政策・主張が大きくゆがめられたように見受けられる。れいわ新選組は、そういうのとはうまく距離を置いていた様子。
そのことで、野党間での選挙結果の明暗にもつながったように見受けられる。
しばき隊の影響
そして、もう一つの要素を指摘したい。
同時期に策動していた、しばき隊。直接的には、レイシストを暴力的に攻撃するという行動を繰り返しているが、驚くほど「フェミニスト」の一部とも親和性が高い。
「フェミニスト」が、しばき隊やその同調者をケツモチにするような形で暴れる、あるいは同一人物が「フェミニスト」と「しばき隊信者」を兼任しているということも、しばしば観測した。
例えば、某「フェミニスト」(ミサンドリスト)が2025年7月の参院選で、しばき隊と一緒になって参政党宣伝への「カウンター」をかけ、参政党運動員に接近してわざと転ぶ騒ぎを起こし、「暴力を振るわれてケガをした」と主張した。
また某「しばき隊界隈」に近い女性が、レイシストに嫌がらせをして苦情を受けて不利になると、自分が女性で相手が男性だったというだけで、「女だから」うんぬんと挑発したという事例も観測している。
「暴力と恫喝」という共通点で、互いに悪影響を与え合っていることが推測される。
そして、しばき隊に守られる一派と、しばき隊ともめて逆恨みした一派との、「フェミニスト」同士の争いも観測した。どっちも滅びろとしかコメントしようがないが。
市民の立場で
「フェミニスト」にしろしばき隊にしろ、暴力と恫喝を常習化する勢力は、民主主義に敵対するものである。
このようなのが野党のふりをして、野党に取り憑き、野党の政策をゆがめることで、参政党の台頭を許したともいえる。
野党勢力は、こういう「市民のふりをしたクラッシャー」への対応を、見つめ直すべきである。