辺境の雑記帳2nd

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教育勅語の扱いが話題になる 広島市の新入職員向け研修で

2023年12月、教育勅語の扱いが話題になった。

同年12月中旬、松井一實・広島市長が、「新入職員向けの研修に、教育勅語を引き合いに出した講話をおこなっていた」と新聞報道された。

松井市長は「心の持ち方などの資料として使ったもので、問題はないと考えている」とした。職員団体や市民からはおかしいと抗議の声が上がったが、松井市長は「改めるつもりはない」としたという。

これらの措置に批判が上がった一方、産経新聞は2023年12月31日の主張で、松井市長の行動を肯定的に扱い、批判はおかしいかのような見解を出している。

教育勅語とは

教育勅語は、明治政府の教育体制構築のもとで、1890年に出された。前年1889年に制定された大日本帝国憲法の下での教育の基本方針や国民道徳の規準を示した、明治天皇の言葉の体裁で発表されたものである。教育勅語の内容は、大日本帝国憲法下の、教育方針や国民道徳に影響を与えている。

 

 

教育勅語イメージ(出典:写真AC)

教育勅語イメージ(出典:写真AC)

教育勅語の内容に掲げられている徳目を示して「よいものがあった」と主張する向きもある。しかしその徳目はあくまでも、「いざとなれば天皇を中心とする国家体制に尽くせ、そのための準備をしろ」というところを修飾している。

これらの国民道徳によって、戦争の惨禍につながった大きな一因となったと指摘された。

教育勅語は、1947年に制定された日本国憲法での、国民主権や個人の尊重などの理念に合わないとして、戦後廃止されたものである。

単に、法令の手続き上廃止したというだけにとどまらない。廃止なら廃止に関する法案を出して可決されるだけで済む。しかし教育勅語はそれだけでなく、衆議院では「排除の決議」、参議院では「失効確認の決議」を、それぞれ1947年6月19日の本会議で採択している。

教育勅語等排除に関する決議

1948年6月19日 衆議院本会議

民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の改新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。

思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。

右決議する。

教育勅語等の失効確認に関する決議

1948年6月19日 参議院本会議

われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。

しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。

われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。

右決議する。

わざわざ「ダメ押し」的な決議を上げたことが、重要なキーポイントになるだろう。

「よいものがあった」という文脈で使うことは想定されていないし、そのような扱いをすべきではないと、先人は訴えているのではないのだろうか。