朝日新聞2024年8月12日付の記事。紙面では埼玉県版のようだが、web版にも掲載されている。
『旧校舎で女性タレントら120人の制服撮影会 「性的興行」と反対も』(朝日新聞2024年8月12日)
事案の経過
2024年8月に民間事業者の主催で、埼玉県鴻巣市の廃校となった市立小学校の旧校舎を会場にして、女性タレントなどをモデルにした撮影会を開くことにしたという。
それに対して一部の人たちが「性的な興行」などと主張し反対しているという記事。
当該事業者は、2023年6月の「水着撮影」問題でやり玉に挙げられた事業者でもあるという。
今回の撮影会では水着撮影などはなく、女性モデルを被写体としての撮影会だとしている。モデルの服装には、制服や浴衣が含まれているという。
小学校跡地を管理する鴻巣市は、公共施設の貸出規定に基づいて検討した。市は、「公序良俗に反する内容は確認できなかった」などとして、会場使用申請への許可を出した。
また同事業者は、埼玉県外の別の自治体でも同じように、学校の旧校舎での撮影会を実施したことがある。そのときには特にトラブルなどもなかったことを確認したことも、許可の理由に挙がっている。
一部似非「フェミニスト」の抗議
しかし撮影会のことを知った一部の人たちが、「撮影会は公序良俗に反する」「制服や浴衣の撮影は性的な興行だ」と主張し、貸し出し中止を求めて騒いでいる。
市民団体や複数の市議が、市に対して、貸し出しの中止を求める要請をおこなったという。
鴻巣市は上記の理由で、「断るような内容ではない」「表現の自由の範囲内だ」として、中止要請には応じられないとしている。
記事では、そのような経過が記されている。
ツイッターことXでも、「フェミニスト」を自称する複数のアカウントから、撮影会は「性的な興行」で中止すべきだとする主張がなされている。
いったい何なのか
反対する側の主張は、いったい何なのかと、強く疑問に感じる。
他者の表現を踏みにじっても意に介さない。また保守主義・封建主義・パターナリズム的な価値観を一方的に押しつける。このようなものが「フェミニスト」と名乗っている。それ自体が異常である。
一般の公衆とは区切られた場所での水着撮影だけでは飽き足らず、「制服や浴衣」での撮影にも難癖を付けるとなると、モデルの撮影会自体が気に入らないから潰せということにもなる。
こんなことを言い出す自称「フェミニスト」は、女性モデルの存在自体が「性的」だからという、超ウルトラ保守反動的で封建的な、極めて時代錯誤的な主張ではないか。
しかも「こどもたちの学び舎だったところでの、制服での撮影会=制服が性的な興行」とは、全くの言いがかりレベルでしかない。
そのような主張は成立しないのは明白ではある。その前提で、《そういう人の言い分通りに、主張が成り立つ》のだと仮定して論を進めると、制服を制定している学校自体が「性的」になるという、めちゃくちゃな論理的帰結になってしまう。
もっとも、教育的観点からの、制服に関する校則などの議論はある。しかし今回の件は、それとは全く別個の話ではある。
この問題は、学校教育の視点から生徒のことを1ミリたりとも考えているわけではない。自称「フェミニスト」が、自分自身とその手下のみの「お気持ち」での感情論、私利私欲を通そうとするために、「こども」を餌にしていることにもなる。これでは、子どもの権利などどうでもいいという扱いだと受け取れる。
こんな主張、異常としかいいようがない。
ジェンダー平等と表現の自由
ジェンダー平等であり、表現の自由を最大限守られなければならない。
だからこそ、このような似非「フェミニスト」――実態は「女性は(実際は、自分自身とその手下はということを、広すぎる主語に置き換えたもの)、いついかなる時も絶対的弱者・被害者でなければならない。(特に男性は)女性を無条件に守れ」とばかりのパターナリズムむき出しで、なおかつ「女性に関することはすべて性的だ」とばかりの、イスラム原理主義・キリスト教原理主義や某壷・某会議以上の異質な極右的性規範を振りかざす保守反動封建主義者。その古すぎる価値観を極限までに煮詰めた上で、あたかも進歩的主張かのように偽装し、「自分たちとその同調者の女性」以外の属性を差別するとばかりの差別主義者。それを正当化する手段として「暴力的強権的な態度で、自分たちの主張に従わせる。従わない相手を一方的に差別者認定して、社会的抹殺するまで執拗に攻撃する」とばかりのマッチョイズムを振りかざすような人物。――の、反民主主義的、非民主主義的、差別主義の時代錯誤で封建的な主張には、屈してはいけない。