辺境の雑記帳2nd

ニュースや時事問題の考察など

「フェミニズムを自称する何か」と表現規制

共産党の2021年総選挙の施策について、「表現規制に舵を切ったのではないか」という批判が起き、話題になった。

www.jcp.or.jp

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

詳細については、上記のサイトが参考になる。 一方で「表現の自由規制」と誤認されかねない文脈は、文化政策ではなく、「女性・ジェンダー政策」のもとでおこなわれたというのが、問題を解き明かすひとつのテーマとなっているのではないかとも感じる。

「オタク」と「フェミニズム」

ここ数年、「『フェミニスト』を自称する人たちによる、いわゆる『オタク』といわれる趣味の愛好者への攻撃・迫害や、『オタク文化』全般への敵視」ともいえるような行為が頻発していた。

献血キャラクターに起用された絵に、「フェミニスト」が「性的」などと難癖を付けて攻撃する事件が起きた。

地域の防犯キャンペーンとして警察署が起用したVTuberに対して、「フェミニスト」団体が、そのキャラクターは性的であり性犯罪を誘発するなどと難癖を付けて取り下げろと迫り、取り下げさせる事件もあった。 VTuberの「中の人」や見かねた「オタク」が「そういう根拠はあるのか。取り下げさせるのはおかしい」と声を上げても、「フェミニスト」団体は「警察の判断だから、私たちは知らない」と不誠実な態度を取った。しかもその「フェミニスト」団体は「議員連盟」だったことで、議員の立場で行政に圧力をかけ第三者の表現を規制しようとするのもおかしいという批判も起きた。

絵だけではなく実在の女性モデルに対しても、胸が大きいのがけしからん的な、それこそ相手への人権侵害にあたるようなめちゃくちゃな難癖すらあった。

それらの事件が頻発した背景から、それらの行為の延長線上にあるのではないかと疑われて、問題を深刻化させたようにもうかがわれる。

フェミニズムは本来の語義的な意味では、女性だからといって社会的な一方的な枠組みにはめられることなく、自分らしさを大事にして女性の権利を向上させる思想。

それは本来、「どのような属性の人でも属性にとらわれず自分らしく生きる社会を目指す」という普遍的な人権思想の一部として包括されるはず。

しかし日本で「フェミニズム」を自称する人たちは、「女性であること」を人一倍振りかざして強調して「武器」にした上、自分の理想とする女性像および男性像に沿わない・自分に従わない人たちに敵意を向け、どんな横暴を加えてもいい、自分に対して少しでも気に入らない指摘をすることそれ自体が内容関わりなしに「女性差別」だと感情的に脅せば思い通りになる、とばかりの、古い家父長制パターナリズム的、マッチョイズム的、宗教右翼的な言動に回帰している。

その手の「フェミニズムを自称する何か」が、政党や社会運動などにも影響を及ぼして、「反差別を偽装した差別主義」というべきものを持ち込んでいるのではないかと疑われる状況も、あちこちで発生している。

「表現規制」と誤認されかねない内容は、そういう背景の元で生まれたような印象も受ける。